これは、将棋棋士になるための登竜門である、奨励会を去ってしまった人達のその後の人生にスポットをあてた本です。
レビューを書こうかどうしようか迷ったのですが…良くも悪くも印象に残ったので、率直な感想を書くことにしました。
というのは、この本の主人公ともいえる、N二段の頑なに自分流の将棋のスタイルを貫く考え方そのものが、私には受け入れられなかったからです。
「定跡の勉強は?」コーヒーをすすりながら私は成田にきいた。
「いや、こっちそれはまったくしない」と成田は答えた。
「それで、いいの?成田の序盤はなってないって将棋世界に書かれていたろう」
「ああ、あれかい。あんなの関係ないっぺさ。序盤で損したって、終盤で逆転してやるんだから。それがこっちの将棋だ」
「でもなあ、勉強しておくに越したことはないんじゃないの」
「いや、関係ない。こっちはこっちの考えがある。人の真似して、みんなで同じ将棋指したって意味ない。研究なんて意味ない。自分は自分だけにしかさせない将棋を指すんだ」
たいていのことは素直に私の話に耳を傾けてくれる成田だったが、こと将棋になると頑として耳を貸さない。その頑固さは見事なまでであったが、融通性のなさは心配でもあった。
(中略)
将棋の定跡は勉強しないという成田の考え方は、少数派とはいえ当時の奨励会や将棋界にまったくなかったわけではない。定跡よりも何よりも、棋士個人の持つ個性や発想を大切にしてそれを伸ばしていこうというものである。そして、棋士として何よりの武器が終盤力だという考え方である。
しかしその終盤重視の理論は昭和57年に入会した羽生善治を中心とした天才少年軍団によって駆逐されていくことになる。序盤と定跡の研究こそが最重要課題であり、その知識や研究の深さが勝敗に直結していくというのが、新世代の俊英たちの考え方であった。
(中略)
「序盤は多少不利になっても、終盤で逆転すればいい」という終盤重視の将棋では、通用しなくなっていくのである。
自分だけにしかできない将棋を指す、といっても、現実問題、目の前にある対局で勝てなければ昇段できないし、プロにもなれないじゃない。
負けた理由を反省せず、星のめぐりあわせのせいにして、ただただ将棋をガムシャラに指しているだけでは、勝てなくなるのも当たり前。
定跡は人の真似だと頭から否定してるけど、定跡を勉強した程度で個性は消えないのでは?それって単に新しい勉強をしたくないがための言い訳じゃないの?
黒星が重なって二段から初段に後段してもなお、頑なに自己流スタイルに固執しているのは、時代の違いを割り引いて考えたとしても、プロになれるだけの器がなかった、敗れるべくして敗れたのだろうと感じました。
何が原因で勝てなかった(勝てなくなった)のか、敗因はハッキリしているじゃないですか。
序盤や定跡の勉強したほうがよいとアドバイスされても、本人がそれを頑なに拒絶しているんだから、それはもうどうしようもない。
自分がN氏の考え方や対局に向かう姿勢に共感できなかった、作者の大崎氏と同様に歯がゆさを感じたのは、あたかも
「試験に落ちるのは運が悪かっただけ。過去問攻略なんて邪道だ。俺は自分の好きな科目の勉強がしたいから試験を受けるんだ。自分の勉強法を変えてまで合格する気はないね。」
などと、敗因ははっきりしているのにそれを放置したまま、ただいたずらに不合格を重ねている人のように見えてしまったからです。
奨励会に入れるだけでも、将棋の才能自体は一般人と比べてズバ抜けているのは間違いないと思います。
では、プロになれる人とそうでない人はどこが違うのか?
将棋そのものの才能はもちろん必須要件としても、そこを土台に、努力の量、本人の性格、メンタルの強さ、時代の変化に適応できること(修正能力)、努力の方向性を間違えないこと、良き師匠、よいライバルの存在、タイミングの良し悪しなどの、諸々の要素が上手くかみ合わないと、プロにはなれないのだろう、と思いました。
奨励会には年齢制限があるため、ある一定の年齢になるまでに既定の段位がクリアできなければ、残念ながら退会せざるを得ません。
(有名なのは、26歳までに四段の規定ですね。)
現在は高卒・大卒の奨励会員も珍しくないそうですが、N氏が在籍していた当時の奨励会は、中卒・高校中退の会員が少なくなかったそうです。
奨励会を去ることになってしまった20代後半の青年たちは、第二の人生、つまりは将棋のプロ以外の道を歩むことを余儀なくされます。
でも、学歴も職歴もない、時には一般常識すら覚束ない、ただ人よりも将棋がズバ抜けて強いことが取り柄の20代後半の青年に対して、残念ながら社会はあまり優しくありません。
N氏は、奨励会退会の前後で両親を亡くした後、地元の北海道に戻り、パチンコ店の店員やビル清掃業などの仕事につくも、会社が倒産して失職してしまいます。
折しも、1990年~2000年代の北海道は不況下にあり、就職活動をしても仕事がなかなか見つからず、生活が苦しくなりサラ金に借金を重ねてしまった結果、夜逃げして、履歴書などが一切不要の古新聞の回収会社の寮に潜り込むことになります。
借金の取り立てから逃れるために、連絡先を白石将棋センター気付に変更したことで、当時の「将棋世界」の編集長であった大崎氏(作者)が、N氏と久しぶりに連絡が取れ、約10年ぶりに再会することとなったのです。
トータルで見れば、N氏の考え方や生き方には共感できなかったけど、それでもこの本の後味が悪くなかったのは、たとえプロになる夢が破れて、古紙回収業者の3人一部屋の寮で手取り月給1~2万円程度の底辺の生活を送っていても、N氏が明るく前向きに生きているからです。
プロを目指していたことを後悔しておらず、誰かを恨んだり憎んだりするわけでもなく、今でも将棋が好きで、将棋の強かった自分に誇りと自信を持っている。
いつかはこの厳しい生活から抜け出して、お金を貯めて将棋の道場を開くのが夢だと語る。
そして作者の大崎氏と再会した1年後、新しくできた友人のツテで、将棋道場の講師の仕事を紹介してもらうことができた―
当の本人がプロ棋士になる夢に届かなかった自分を受け入れていて、そのうえで前向きに次の目標をみつけて生きているならば、「自分の考えに固執しすぎて時代についていけないなら、プロになれないのも仕方ない」といった批判は野暮でしかないのでしょう。
結局のところは、客観的に見て幸せかどうかというよりも、自分にとって自信と誇りが持てるものが一つでもあったら、当の本人は案外幸せなのかもしれないとも思いました。
奨励会退会後の闇の一方で、この本でもう一つ印象に残ったのは、渡辺明氏が四段昇段を決めた日の様子です。
その日、つまり私の机の上に小さなメモ書きが置かれてあった日は将棋連盟にとって特別な一日だった。
中学生プロ棋士が誕生したのである。
加藤一二三、谷川浩司、羽生善治に続いて史上四人目、羽生以来実に15年ぶりという快挙であった。
渡辺明新四段である。
(中略)
4階に上がるとテレビ、新聞をはじめとするマスコミ関係者がたった今四段になったばかりの中学生をぐるりと取り囲んでいた。久しぶりに現れた大型新人は涼しい顔で、にこりともせず輪の中に立っていた。面倒くさげにカメラの閃光を浴び、飛び交う質問に冷静に型通りに答えている。
すごいものだなあと私は思った。昇段したばかりの新四段は何人も見てきたが、こんなにふてぶてしいのは初めてだった。少しも嬉しそうではないのだ。
しかもその態度には周りを取り囲む大人たちに、やはり何かが違うと感心させてしまうような説得力があるのだ。
その姿を遠巻きに眺めながら、私は成田のことを考えていた。成田というよりも、こうして一度もカメラもマイクも向けられることなく、ひっそりとここを去っていった多くの青年たちのことである。
(中略)
中学生棋士が誕生する一方で、同じ日に年齢制限でこの世界を去らなければならない青年がいることもまた、厳然とした現実である。同じ建物の中にいても、4階はざわめき地下はこうして静まり返っているのだ。
渡辺明氏は、15歳でプロ棋士となった後、20歳で初タイトルの竜王を獲得し、現在は王将・棋王・棋聖の三冠、永世竜王・永世棋王を持つ、トップ棋士の一人。
この中学3年生の渡辺少年のふてぶてしさや冷静さは、迫りくる年齢制限と隣り合わせで三段リーグを戦っている奨励会員や、残念ながら奨励会を去ることになってしまった「将棋の子」たちとの、才能の差、勝者と敗者の光と影を、残酷なまでに浮き彫りにしていると感じたのでした。
コメント
考えさせられますねー。
情報処理のシステム監査技術者も、1回で受かる人がいる反面、私のように4回受けて4回落ちるのも、攻略法を見直さないから何でしょうね・・・。
名もなき資格への挑戦者さん
まぁ情報処理の試験は落ちても受かっても、人生にはそこまで大きな影響は無いと思うんですよ(もちろん受かった方がいいでしょうが)。
でも将棋の棋士はプロになれなかった時のダメージが大きすぎるんですよね。
だからこそ、現代の奨励会は高卒・大卒の子が増えてんるんでしょうけど