ベストセラー作家・東野圭吾氏の小中学校~大学生までの思い出をつづったエッセイです。
小説が面白いのは言うまでもありませんが、私はこのエッセイも結構好きなんです。
私的には、ラグビー部のヤンキーに推薦入学での学力試験で0点を回避する方法を伝授した話(ワルもふつうもそれなりに)、文化祭の出し物でクラスで映画を作った話(あの頃ぼくらは巨匠だった)、小学校の給食が死ぬほど不味かった話(残飯製造工場)が好きです。
「ワルもふつうもそれなりに」
同じクラスのラグビー部に所属する不良生徒が、N商高校に推薦で入学できることになったはいいけど、学力テストがあるといわれて困ってしまう。
5教科のうち1科目でも0点があったら不合格になるとのことで、普段からしょっちゅう0点をとっていることから、特に不安な算数(数学)とイングリッシュ(英語)で0点を回避する方法を考えてほしいと言われ、東野氏他クラスメート複数でひねり出したのが以下の攻略法である。
・○×問題は、すべて○をつける。
・同様に、イロハ等の記号を入れるものは、すべて同じ記号でつっぱる。
・英文の空欄埋めは、to for of thatのうち、その文章で使用されていないものを書く。
・数学で方程式が出たら、とにかくx=1と書いておく。
・分度器と定規を忘れずに持っていき、図形問題は実測することにより答えを得る。(p60)
裏を返せば合格最低点は各教科につき100点満点でたったの1点!
0点さえとらなければいい=各科目の最低点は1点
言われてみれば確かにそうだwww
なるほど、これだけやれば0点はどうにか回避できそうですね。
でもこんな感じで「あてずっぽうな」答えを埋めて0点を回避できてる人、案外いると思うんですよ。
とりあえず記号を入れる問題は全部「ア」とか「A」って書いておくとかね。
(その昔、「めちゃイケ」の学力テストで、よゐこ濱口君がそんな感じの答えをかいていた気がするw)
ちなみに推薦入学当日の試験では、英語の第一問はアルファベットを書きなさいという問題で、数学の第一問は1/2+1/2だったという。これで0点を取ったら別の意味でヤバいだろ。
「あの頃ぼくらは巨匠だった」
高校生の時、文化祭の出し物で、クラスで映画を作ることになり、映画好きの女子が「ティファニーで朝食を」や「シャレード」みたいな恋愛映画を提案したが、男子たちは恋愛映画は嫌だということで、東野氏が「必殺仕置人」のパロディシナリオを書くことに。クラスで多数決をとったら、パロディの方が採用された話です。
苦し紛れに書いたのは、当時テレビで高視聴率を誇っていた「必殺仕置人」のパロディだった。悪徳高利貸しに引っ掛かった美人姉妹の恨みを、念仏の鉄(ドラマでは山崎努が演じていた)と棺桶の錠(沖雅也)が晴らすという安直なストーリーだ。台詞はすべて大阪弁、低俗きわまりないギャグの連発だらけで間をもたせるという、じつにいい加減なシナリオだった。(中略)
肝心の演技だが、これはもうどうしようもなかった。表情に違いを出すなんてことはおよそ不可能で、どいつもこいつも不可解な照れ笑いを浮かべているか、不自然にこわばった顔をしているかのどちらかだ。悪徳高利貸しが娘をいじめているシーンでさえ、二人ともヘラヘラ笑っていやがるのである。芝居と呼ぶには程遠いものだった。
演技力のなさがさらに強調されたのが音入れの時だ。映像を見ながら台詞や効果音をテープに録音していくのだが、ちょっと長い台詞になると棒読みしかできない。「なに、それは本当か」とか、「話はわかった。おれたちに任せとけ」というだけの台詞でさえ本を読んでいるようにしか聞こえないのだから手の施しようがなかった。ところが皮肉なもので、あれだけ女の子たちが嫌がった下品な台詞だけは、妙に臨場感があるのだった。特に例の、「インキンタムシッ」と罵る一言には強烈なインパクトがあり、何度聞いても笑えた。この台詞を発した女の子は、「お嫁に行かれへん」と言って、しばらく嘆いていた。
こうして我々の最初の映画は完成した。いよいよ試写である。だが完成した映画を見て複雑な気分になった。最初に女の子たちが指摘したように、たしかに下品な映画だった。台詞だけでなく、アクションにも下ネタがらみが多いのだ。たとえばクライマックスの仕置きのシーンでは、立ち小便をしている悪徳高利貸しを、殺し屋の念仏の鉄が襲うのだが、その瞬間高利貸しの股間から放出された尿が噴水のように高く舞い上がり、そばの塀を黒黒と濡らすのである。とても文化祭という言葉の響きとはマッチしないと思った。
(中略)
ところが意外にも、この映画が大ウケにウケた。計算したギャグの殆どは空振りに終わったが、台詞の間の悪さと、わざとらしい演技が微妙に融合し、不思議な味を出していたのだ。全く予期せぬところで爆笑が起きたりした。懸念だったラストの立ち小便のシーンでは、笑いと共に拍手さえ起きた。p200〜203
漫才師や芸人、落語家は、毎回決まった笑わせどころでキッチリ笑いがとれますが、小中学生や高校生の素人劇では、笑わせどころで笑いが起こらないかわりに、予想もしないところで笑いが起こることがあるんですよね。
ある意味そこが面白いともいう。
そして次の年には、11クラス中8クラスが映画を作ったっていうのもすごいなぁ。
何か一つ大ウケすると二匹目のドジョウを狙うっていうのはよくある話ですけどね。
そしてこの話は、東野氏のクラスが2年目に作った映画が、シナリオやメイク、音楽、キャスト、衣装、大道具、ロケと本格的に凝り、ベストを尽くしたものの、肝心なカメラ係がど素人だったために半分近いシーンがピンぼけになってしまい、大コケしてしまったというオチがついています。こういう2回目の大失敗もまた、素人が作る作品ならではの「あるある」かもしれない。
「残飯製造工場」
養豚場では、社員食堂や病院などからでる残飯を豚の餌にしているという話に関連し、大阪の小学校の給食が死ぬほどまずかった話。
幼稚園から小学校に上がる直前、僕が不安に思っていたものの一つが学校給食だった。
「一体どんなもんを食べさせられるねんやろ」
と、ビビっていたわけである。期待などは皆無だ。うちには姉が二人おり、彼女たちから大体の予備知識は得ている。
「毎日、給食のおかずを見るたびに、泣きそうになる」
というのが長姉の意見であり、
「はっきりいうて、めっちゃまずいで。覚悟しときや」というのが次姉のアドバイスだった。こんな話を聞かされて、ビビるなという方が無理ではないか。
小学校入学直後のある日、ついに初めて給食を食べることになった。その日は保護者も来校しており、教室の後ろにずらーっと並んで、子供たちが給食を食べるところを見るのである。授業参観の給食版と思えばよい。
(中略)
記念すべき小学校第一回の給食メニューを、僕はほぼ完璧に覚えている。コッペパンが二つ、真っ白なミルク、暖かい野菜スープ、缶詰のミカンというものだった。パンの傍らには、紙に包んだ四角いマーガリンが添えられていた。見たところは、さほど不味そうではない。
僕は恐る恐る野菜スープに口をつけてみた。とてつもなく不味いとすれば、これだろうと思ったからだった。一口目を啜る時には、舌が緊張した。
ところがその緊張は空振りに終わった。野菜スープの味は、まあまあだったのである。美味とまではいかなくても、これならまあ食べられると思った。続いてミルクに移る。噂に聞く、脱脂粉乳であった。これもまたうまいとまではいかないが、一応ミルクの味はしている。僕は合格点をあげることにした。そしてパンだ。焼きたてのようにふわふわしている。舌触りもよろしい。
(中略)
だが僕の感想を聞いた次姉は、へへんと鼻で笑った。そして、「甘いな」と口を歪めていうのだ。「なんで?」と僕が訊いても答えてくれない。ただ意味ありげに、にやにや笑っているだけだった。
(中略)
昨日は湯気がたつほど暖かい野菜スープが入っていた器に、今日は泥まみれの石ころのようなものがごろんごろんと入っているのだ。その間には丸めた紙屑も混じっている。湯気がたつどころか、器を触るとひんやりと冷たい。
(中略)
おかずがこれだから、他の品も同じようなものである。この日配られた脱脂粉乳は、色が白でさえなかった。薄茶色のような変な色である。見かけがこれだから、味は知れたものだ。もはやミルクらしさは残っていなかった。そしてパンは使い古しのスポンジのように弾力性がなく、おまけに何となく湿っていた。また前日は缶詰のミカンが入っていたところにこの日盛り付けられたのは、なぜかちくわだった。醤油で煮てあるのだが、とてつもなく辛い。しかもゴムのように固かった。
前日とはあまりに違う料理(と言えるかどうかも怪しかった)を目の当たりにし、ぼくは唸った。昨日は保護者が見ているから特別においしいメニューにしたのだな、と子供心に察しがついた。真の給食はこれだったのだ。これがこれから六年間続く。p209〜212
親が見ている時に出す給食と、普段の給食の質の落差がひどすぎますねw
私も小学校時代、給食ってあんまりおいしくないなぁ…と思いながら食べていましたけど(※これは幼少期は好き嫌いが多かったことも原因だとは思う。純粋にそれ自体がおいしくないのか、自分にとって嫌いな味なのかの区別が今一つついていなかった)、それでも昭和30年~40年代に比べたらかなり改善されていると思うんですよね。
少なくとも東野圭吾氏の小学校時代と比べたら、私の世代(昭和60年~平成初期)の給食はご馳走レベルに改善されてるはず。
でも小学生の時の私も、給食で嫌いなメニューやマズいメニューが出る日は学校に行くのが憂鬱になっていましたから、もし当時の小学校がここまでひどいメニューだったら登校拒否になるだろうなぁと思いますw
ドラム缶に入れられた給食の残飯は、昼休みが終わる直前に現れる養豚業者のトラックに積み込まれて運び去られる…
で、我々の給食がまずいのは残飯を安定して供給するための学校側の謀略ではないか説w
これは最初はそうじゃなかった(単に美味しく大量に作る技術がなかった?)けど、安定して大量の残飯を供給しているうちに、学校側と養豚業者のお互いに利害が一致した結果ではないかなと思います。
この本は20年前以上の本なので、今の時代とはそぐわない部分もありますが(大学入試のくだりとかね)、面白さは変わらないです。
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