テレ朝の弘中綾香アナが「ダ・ヴィンチ」で書いていたエッセイをまとめた本です。
(そういえば弘中アナ、最近結婚されましたね。おめでとうございます。)
今やテレ朝のエースで、好きなアナウンサーランキング(オリコン)で1位をとるほどの人気アナウンサーの彼女、あざといとか、高い声が嫌とかって言う人もいるようです。
でも私は「激レアさんを連れてきた」のマグネットを自分で書いているのと、ゲストとオードリー若林とのやり取りの上手さで、弘中アナのことが好きになりました。
(というか嫌いな人に課金してやるほど酔狂じゃないしw)
さてこのエッセイの内容。
彼女は進学塾に通い、中学受験で慶応中等部に合格できたものの、スポーツ全般が苦手で、クラスの中では決して目立つポジションの生徒ではなかったとのこと。
また、人前で表彰された思い出、賞状をもらった記憶もなく、特に人よりできる事もなく、リーダーシップもなく、留学やボランティアの経験もなく、AO入試に一番向かないタイプの人間だと言います。
(とはいえ学力的に凡人の私から見れば、中学受験で慶応に合格できるだけでも十分すごいと思います。ただ「すごい人たち」の集団に入ると、自分が取り柄のない凡人のように感じてしまう…ということなんじゃないかなと。)
鬱屈していた中学時代の黒歴史話が9話も続くところからも、思春期は相当なコンプレックスを抱えて悶々としていたことが伺えます。
大人から見れば些細なエピソードかもしれないけど、その渦中にいる小中学生にとっては苦痛な思い出系のエピソードが並びます。
さて、この本の中で一番印象に残ったのは、就職活動の前に自分の年表を作った話と、テレ朝のアナウンサー試験の話です。
P185〜186
自分の年表を作るという章があって(中略)0歳から遡っていくと、最後の段に自然と近しい言葉が揃ってくる。「地道に頑張ることの大切さ」「一度決めたことを投げ出さないとか。「負けん気の強さ」なんて言葉もあった気がする。一通り見返すと、ああ自分ってこういう要素が集まってできた人間なんだってことが分かってくる。いろんな経験が積み重なって、出来上がったものなんだと。
たまに就活生から質問を受けたりすることがある。みんな一様に不安な顔をして、「アナウンサー試験に受かるためにしておいた方がいいことはありますか?」と聞いてくる。この際「〇〇に受かるために」の〇〇は何でもいい。これは持論に過ぎないけれど、大学3年生から付け焼刃で何かしたところで変わることはなく、もっとそれより、今自分が持っている経験に目を向けることが大事だと思う。あなたをあなたたらしめているであろう経験をもっと探ってみたら?と。全員が全員何かの大会で1位になっているわけではないし(中略)、みんながみんな留学先で言語の壁にぶち当たり、それでも自ら飛び込んでいくことの大切さを得ているわけでもない。もっとパーソナルでもっと自分にしか言えない経験を教えてほしいと思う。具体的であればあるほど良いとも思う(中略)
ここに書いてきたような本当に小さい小さい出来事をいっぱい並べて年表を作った。それを何度も何度も見返して、自分がこの先どんな仕事をしたらいいのか考えていった。P189~
受けるのはタダだし、普段は入れないテレビ局に行けるのも何だか楽しそう。受からなくて当たり前で、テレビ局の総合職を受けるときの練習だと思えばいいや、なんていう気持ちだった。(中略)
どんどん数が少なくなってきて、ここまで来ると最後まで残りたいという気持ちが大きくなってくる。まったく考えていなかった進路なのに。もしかしたら行けるかも?と思うと、何だか欲張りになってしまうものだ。この時思ったのは、「逆を行こう」ということ。その段階になると学生キャスターをやっている子だったり、タレントだったり、芸能活動をすでにスタートさせている子がほとんどだった。(中略)
そんな中で明らかに私は浮いていたと思う。すぐにこの子たちに付いていこうとしても意味がないと思った。何のトレーニングもしてきていない私は、きっと「伸びしろ枠」でここまで残してもらっている。みんなに寄せて背伸びをしたって、見てくれも技術面も敵わないし、二番煎じはただ埋もれるだけだ。出来るだけ普通の学生らしさ、一般の感覚、何故か紛れ込んでしまった感という初心を忘れないように心掛けた。競い合っているようで、まったく違う視点で審査されているに決まっている。そこをはき違えたらいけないと、なんとなく察知した。
あの子たちとは違くていいんだ、と思えたあたりから肩の荷が下りて、自分をアピールするというよりも、このスタジオの空気を明るくしようという風に切り替えることができた気がする。天の声からの質問に答えたり、本物のアナウンサーと話したりするのも初めてだったけれど「旅の恥はかき捨て」と思い、とにかく楽しんでやろうと心に決めた。
就職活動では、雰囲気や緊張感にのまれて、自分の言いたいことを言えないまま選考に落ちてしまう人の方が多いと思います。
あるいは、自分をアピールしなくては、何か爪痕を残さないと、という意識が強すぎるあまり、周りが見えなくなっている人もチラホラ見かけました。
テレ朝の選考にしても、美人でキラキラした華やかな子たちに囲まれたら、そのキラキラオーラに圧倒されてしまい「自分は可愛くもないしスキルもない。とても敵わない…」と気後れしてオドオドすると思うんですよ。
だけどそのような状況に置かれた時に、他の候補者とは逆を行こう、自分は伸びしろ枠で残してもらってる、初心を忘れずに、選考を楽しんでやろうと気持ちを切り替えられたことが非凡だと思います。
選考している側も、肩の力を抜いて楽しんで選考を受けている姿から、現在の活躍を予感させる「何か」を感じたのかもしれません。
P205~206
「弘中 就活生のみなさんから「アナウンサーになるために今からしておいたほうがいいことは何かありますか?」という質問をいただくことが多いんですよね。でも、これから新しく何かをするのもいいけど、今まで経験したことや今の自分が持っているものの中に大切な経験がたくさんあるはずだから、それを見直すってこともした方がいいのになぁと思うんです。私の場合、アナウンサーの勉強は1ミリもしなかったけど、高校3年間で経験したり培ったものが本当に大きかったと思うんです。
ウエム 卒業して大学生になった教え子達を見ていると、コスパってことを考えすぎるんですよ。
例えば「アナウンサーになるにはどうすればいい?」というところから逆算して、最短距離を取ろうと必死になっているんだけど、それってあんまりいいことじゃないと思うんですよね。人生、何が栄養になるかは分からないんですよ。
弘中 本当にそう思います。回り回っていろんな経験が栄養になる。
ウエム そこで大事なことは、体験をどう咀嚼して自分の栄養にするかだと思うんです。「男は踏み台、使い捨て。」にしても、弘中さんはその言葉を自分なりに受け止めて、時間をかけて咀嚼して解釈して、自分のものにしているんです。エッセイを読んでいても、そこの部分がすごい。」
「体験をどう咀嚼して自分の栄養にするか」
学生の大多数は、どうしても「〇〇に受かるためには何をしたらいいか」という行為そのもの、何かをしなくてはいけないと焦ってしまいがち。
あるいは、自分には学生時代に力を入れたこと(最近は「ガクチカ」っていう略語もあるみたいですね)も特にないし、何をアピールすればいいのかよくわからない…と悩んでいる人も少なくないと思います。
学業の他、留学、サークル、バイト、インターン、プロジェクト活動、ボランティア、友人関係、習い事など、経験の量と種類は、少ないよりは多い方がいいと思います。
でも単に数が多ければいいっていうわけではない。
本当に大事なことは、その経験を通して、自分がどう感じたか、何を考えたのか。
経験を自分なりに咀嚼していく過程そのものが大事なのでしょう。
だから別に派手な経験がなければダメってわけでもないし、他人の派手な経験を見聞きして自分を卑下する必要もないわけで。
(それを見聞きして自分も頑張ろう!と奮起するのはいいと思いますけどね)
何かを新しく足すことだけではなく、今までしてきた経験を見直すこと。
自分にしかないパーソナルな経験を大事にすること。
これは就職活動をするにあたって、自分は何がしたいのか、何が向いているのか、どんな働き方をしたいかを探るヒントになると思いました。
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この本を2~3回繰り返し読んだ後、ふと「何者(朝井リョウ)」が頭をよぎり、数年ぶりに読み返してみました。
5人の主な登場人物のうち、内定をもらえた2人と、内定がもらえていない3人。
派手な経験や立派な肩書だけで内定がもらえるのなら、真っ先に内定がもらえそうなのは理香だろうけど、そうではないからね。
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