「とめはねっ!」で学ぶ書道上達のコツ④:臨書を楽しむコツ/臨書の目的

大人を対象とした書道教室や、高校生の選択芸術で書道を選択すると、王義之「蘭亭序」や欧陽詢「九成宮醴泉銘」、褚遂良「雁塔聖教序」などの古典の臨書をする機会が少なからずあると思います。

その古典の臨書は何のためにやるのか?どのような効果があるのかについて。

「ひとつだけ臨書を楽しむコツを教えてやろう。 それは最初から100パーセント正確に写し取ろうなどと思わず、気楽に書くことじゃ。」
「ただ漫然と古典の書を見るより、横に並べて実際に真似て書くほうが、はるかにたくさんの発見があるからじゃ。”書くために見る”のではなく、”見るために書く”といってもいい。そちらのほうが大事なことなのじゃ」
3巻P87~88

「見本を見て、まず1画目を書く。そしたらここで筆を止め、紙から筆を上げずに、見本を見る。そして筆を離し、次に向かう。」
「漢字の一画、一画の収筆は、次の画の起筆位置と関係してくるのじゃ。かならず、次の画の起筆位置を確認してから、収筆の筆を上げること。このクセを身につけるだけで、だいぶ違うぞ。」
3巻P90

「臨書は、ただ上手でキレイな字を書けば良いというものじゃないの!欧陽詢の書いた「九成宮醴泉銘」にある「其清若鏡」を書かないといけない!」(中略)


「ええと、つまり…細かいところまで正確にマネをしろっていうことですか?」
「厳密に言えば、臨書の目的はそれだけではありませんが、最初はそれで良いです。なるべく正確に書く。そのために原本をよーく見る。」
「書道の臨書は、絵画のデッサンのようなものだから。」


「臨書の目的も突き詰めれば古典の名作をよく観察することなの。」
「細かいところまで正確にマネができたら、それだけ観察したことになる。そういうことなのよ羽生さん。だから最初にあなたが書いた書にダメ出しをしたの。」
8巻P182~188

実際どこまで真似できるかは別にして、まずは細かいところまで正確にマネして書いてみることマネを通して、細部にわたってじっくりと観察することに意味があるんですね。

実際に観察しながら書いてみると、ただサラッと見ているだけではわからない、微妙なテクニックが随所にちりばめられているのがよくわかります。
例えば雁塔聖教序だったら、ただ細い線を書けばいいわけではなく、細い線の中にも抑揚がある線だったりしますし、

私も、書道教室では、蘭亭序や十七帖、曹全碑、雁塔聖教序、十七帖など、いくつか古典の臨書を経験しましたが、正直言うと、マネして書けば書くほど、え?こんな書き方でいいの?(正直全然綺麗に見えないけど本当にこれが名書なの?)と疑問に感じることはよくあります。

ですが、大人の書道の世界は、ただ上手にきれいな字を書くことだけではなく、「上手」「きれい」なだけではない、芸術の奥深さや幅広さを教えてくれているようにも思います。
そう考えると、絵だって、綺麗で上手な絵だけがすべてじゃないですもんね。

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