朝井リョウ「何者」 敢えて鍵をかけない裏アカで友人の悪口を書かずにはいられない心理

2013年に第148回直木三十五賞を受賞した作品で、2016年には映画化されているので、わりと有名な作品ですね。

最初の方は『意識高い系就活生』のテンプレのような、理香さんの勘違い行動の滑稽さ・痛さが印象に残りました。

社会人目線で見ても「それはちょっと努力の方向性がおかしくね?」とツッコミをいれたくなります。

理香は確かに痛いしダサい。
だけど、意識高い系をあざ笑う観察者気どりの拓人は、それ以上にイタくてダサいじゃないか!と、(よりによって)理香に指摘されるところが、現代のSNS社会に渦巻いている痛さや醜さをうまいこと皮肉っているなーと思いました。

よりによって、悪口を書いていた相手(理香)に、数ヶ月も前から裏アカ『何者』がバレていた。
当の本人が読んでいることも気づかずに、これでもかと悪口を書いていた拓人。

とはいっても、最初にこの本を読んだときは、
「あーあ、何でtwitterの裏垢に鍵をかけなかったんだ?何らかの拍子に本人が読むことは想定してなかったのかな?脇が甘くね?」
と思ったんですよ。

だってこれ、裏アカウントに鍵をかければ済む話じゃない。
そこで好きなだけ思いっきり悪口を吐き出せばいいじゃないですか。
ここがどうしても腑に落ちなかったし、つじつまあわせの強引なオチだとしか思えなかった。

ですが、最近この本を読み返した時、「あえて鍵をかけていないオープンな裏垢で、友人・知人の悪口を言わずにはいられない気持ち」がなんとなくわかったんです。

というのは、私もtwitterで鍵垢をつくって、そこに愚痴や悪口を吐き出していた時期があったからです。
「うわー性格悪ーーーい!!」っていうツッコミはナシでおねがいしますねw
で、このアカウントは、誰もフォローしない、誰からもフォローされてない鍵垢なので、ガチ独り言用の愚痴専門アカウントです(笑)。
だからタイムラインは私のつぶやきonly

なんでまたそんな毒々しいアカウントを作ったのかというと、仕事でも資格でもプラベでも精神的にやられていて、どこかで吐き出さないとやってらんないぜというダークサイドに落ちていた時期だったからです。
(こんなことを書くと、ここのblogを読んでいるmiwa母が心配して「何か悩みでもあるの?」とLINEを送ってきそうだがw)

でも、自分以外の他人がだれも読んでいない鍵垢で悪口をつぶやいても、不思議と全然面白くないし、気持ちがちっとも晴れないんですよ。

Twitterもそうだけど、 2chやyahoo知恵袋、ヤフコメ、はてなブックマーク、発言小町、ガールズちゃんねるなどが『面白い』のは、良くも悪くも、自分の発言に対して、何らかの形で他人からの反応があるから。

やっぱり他人の悪口といえども、「そうそう、そうだよね。」「わかるわー。私もあの人キラーイ!ムカつくータヒねばいいのにーwww」といった共感や反応をしてくれないとつまらないのよ。
結局は「一方通行の独り言」って面白くないんです。

なので、誰からも反応がないのがわかりきっている状態で、ただひたすら愚痴を呟いても、結局心のモヤモヤがスッキリしないんですよね。
逆にストレスが溜まるだけ。

結局、この愚痴専門の自分専用鍵垢は、たった1か月でツイートをすべて削除し、アカウントも削除しました。だってつまんないんだもの。
ああやっぱり性格悪いわ私w

だから「拓人のtwitter裏垢にあえて鍵をかけない」「なぜ鍵をかけていないのか?」という設定は、けっして小説の展開上の都合ではなく必然だったんだなと、何となく腑に落ちたんです。

理香のいうとおり、拓人みたいな奴は、鍵をかけないていない裏アカウントを持っている。
いや、鍵を「かけられない」といったほうが正しいのかもしれない。

だって鍵をかけて自分専用の悪口毒吐きアカウントにしてしまったら、「いいね!」やリツイート・リプライがもらえないからです。他人から「いいね!」と認めてもらえる、何かしらのリアクションがもらえるからこそ意味がある。

この拓人は、昨年一年間就職活動をしたものの、一つも内定が貰えず、留年して再度就職活動にいどんでいるのですが、やっぱり何社うけても内定が一つももらえない。

ましてや、同じ5年生友達の光太郎と瑞月には内定が出たのに、理香と自分には内定がでない。
留年生の光太郎と、留学帰りで1年遅れている瑞月と理香は、5年生でも就職活動は1年目。
でも自分は就職活動2年目。
2年目だから、1年目と同じ轍はふんでいないはずなのに、なぜか結果が出ない。

抜粋・引用

「…内定って言葉、不思議だよな」
「誰でも知ってるでけえ商社とか、広告とかマスコミとか、そういうところの内定って、なんかまるでその人が全部まるごと肯定される感じじゃん」
「まるで全治全能の神みたいなさ。人生の師みたいなさ。さっきの後輩の子とか、俺が内定ふたつ持ってるって言っただけでそうなったもんな。帝国出版とかとは比べ物にならないくらいの中小出版社と、誰も知らないようなちっちゃなちっちゃな商社なのに」
「俺って、ただ就活が得意なだけだったんだって」
「足が速いとかサッカーがうまいとか、料理ができるとか字がうまいとかそういうのと同じレベルで、就活が得意なだけだったんだよ」
「なのに、就活がうまくいくと、まるでその人間まるごと超すげえみたいに言われる。就活以外のことだって何でもこなせる、みたいにさ。あれ、なんなんだろうな」
「それと同じでさ、ピーマンが食べられないように、逆上がりができないように、ただ就活が苦手な人だっているわけじゃん。それなのに、就活がうまくいかないだけで、その人が丸ごとダメみたいになる」
ああ、と俺は思った。
「俺、拓人に何で内定が出ねえのか、ほんとにわかんねえんだよ」

「就活あるある」だけど、お祈り通知(=不合格通知)がたまっていくごとに、自分の存在価値やひいては人格や人生そのものが否定されているかのように感じてしまい、自信喪失状態におちいりやすいです。

逆に内定があると、それだけで全人格が肯定されているかのように錯覚してしまいがちです。
(それが人気企業や有名どころだったりすると尚更)
自分自身も周囲の人間も、です。

だから、内定を1個ももらえずに就活浪人している人のメンタルとプライドは、よっぽど図太いか鈍感じゃない限り、実は結構ズタボロ状態になっているのではないかと思います。

1社でも内定があれば、今抱えている嫉妬心や焦り、不安は解消されるのだろうけど、その肝心の内定がいつまでたってももらえないゼロのまま。
ゼロと1は天地ほどに違う。
自分に何が足りない?どこがよくない?
周囲の人と比べて能力的に決して劣っているわけでもない、何か失敗したわけでもない。
なのに内定がでない。だから余計に自分への自信がなくなる。

理香の行動の痛さを逐一裏アカで揶揄するのも、光太郎の内定先の出版社の2chでのブラックぶりを確認したくなるのも、銀次の設立した小劇団の芝居が演劇専用掲示板で酷評されているのを見て溜飲を下げるのも、根底にあるものは同じなのでしょう。

内定のもらえない今の自分の格好悪さや惨めな否定されっぱなしの「現実」を直視すると、自我が崩壊しそうになる。
だから、自分の言動や考えを肯定してくれて、自分に自信が持てる場所がほしいんですね。

現実の世界での就職活動では自分の存在価値を「否定」されっぱなしだけど、ネットの世界では自分の発言や考えを肯定してくれる場所がある。
だからこそ、ますます「肯定」してくれるものに依存してしまう。

それが「何者」という裏アカウントであったり、友人の内定先企業の2ch内での評判であったり、友人の演劇が酷評されている演劇掲示板なのだろうなと思ったのでした。


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